小林ゆみ(杉並区議会議員)
――LGBT問題を考え始めたきっかけについてお聞かせください。
私は、地方議員・国会議員の中で、(恐らく)日本で初めてLGBT問題が理由で炎上した議員です。
8年ほど前、杉並区の来年度予算案にLGBT支援に関する予算が含まれていました。
私には性的少数者の友人が学生時代から複数いるため行動を共にしていましたが、彼らが差別される現場に出くわしたことは無く、そもそも「誰がLGBTなのか」など、誰も気にしていなかったように思います。
そうした中、突然杉並区の予算案に「LGBTを保護・支援」などと書いてあり、「なぜ特別視して保護・支援しなければならないのか」と単純に疑問に思い、一般質問という形で杉並区に対して本会議で次のように問い質しました。
「LGBTのうちLGBは個人的趣味(パーソナルテイスト)の問題であり、誰が誰を好きになるかに関してこの国では自由なのだから、行政がそこに介入したり税金を出したりすべきではないと思う。
Tについては別問題で、例えば学校の制服について、『心が男の子なので学ランを着たい』という女の子がいたら着させれば良いし、行政は柔軟に対応すべきである。
杉並区はLGBTというように一括りにしているが、LGBとTは別の性質なのでまずはそこを分けて、行政はひとまずTだけ対応すべきなのではないか。」
という内容の質問でした。
昨今のLGBTをめぐる運動の一部には、「自らの好感度アップや支持を得るために、彼らを政治的・社会的に利用しよう」という意図が見え隠れしています。
先ほどの一般質問をした後、右派議員にも左派議員にも特に何も言われなかったのですが、1週間以上経過した時に突然、共産党の区議が「あの発言は差別だった。小林ゆみは差別主義者だ!」と騒ぎ出したのです。恐らく「上」からのお達しを受けて、突然騒ぎ出したのではないでしょうか。
またその時、公明党区議の先生たちは「ゆみちゃんは何も間違ったことは言っていないよ。」とフォローしてくれていましたが、数年後、これまた突然「LGBTの権利擁護を!」と主張し始めました。これもやはり「上」からの「LGBTに理解を示すことで国民の支持を集めよ」というお達しで、それに従うしかなかったのではないかと推察します。
私の、
「LGBとTを分けた方が良い」
「LGBは個人的な趣味だから」
という発言は「パーソナルテイスト」の意味で言っていたにもかかわらず、「趣味=ホビー」の意味で捉えられたか、若しくは本当は私の発言の意図を理解しているのにわざと「人が真剣に悩んでいる性質を、軽々しくもホビーと言ったぞ!」というふうに問題を大きくして、東京新聞やYahoo!ニュース、テレビ番組「グッディ!」などで報道され世間に攻撃されたことが、LGBT問題で炎上したきっかけでした。
実際LGBTというのは最近になって付いた呼び方であり、私のゲイの親友は、
「あたし、LGBTじゃないから。街中でデモしたり、同性婚させろとゴネて裁判起こしたり、あんな面倒くさい活動家じゃないからLGBTって呼ばないで。ただのオカマよ♡」
と話していました。「LGBT=面倒くさい活動家たち」と見られることを嫌がっている当事者の方は、多くいらっしゃるようです。
また、中性的な魅力を持っていて性的少数者である私の友人は、転職先で海外帰りの社員からジロジロと全身を舐め回すように見られ、「あなたはヒー(He)ですか?シー(She)ですか?」と訊かれ、とても嫌な気持ちになったそうです。
「LGBTの理解者であろう」とする過度な配慮が、逆に当事者を傷付けるケースは思いのほか多いようです。
別のLGBTの友人は、職業訓練でパソコンのプログラミング講座を受けに行った際、講座の先生から「うちの会社はすごく先進的で、なんと性的マイノリティーの人も積極的に採用してるんだよね。」と言われたことに憤慨していました。
「何でゲイやレズビアンを採用したら先進的なのか?勝手に私たちを、そういうアピールの材料にしないでくれ」
と。
「意識高い系」による過度の配慮が、却って当事者の皆さまを苦しめている例だといえます。
日本には元々、包括的な優しさがあったはずです。色んな人がいて、色んな価値観があって、八百万の神様がいて、皆違って、それぞれに敬意を払っていました。そういう日本の良さが、今あまり着目されていないように思います。
日本は元々、他の人が男を好きだろうが両方を好きだろうが何だろうが、あまり気にしない文化であったはずですが、行政も個人も、欧米から始まった「LGBTを保護しなくちゃ!」という考えに取り憑かれてしまっています。
いま一度、日本の本来の立ち位置や考え方に立ち戻って欲しいなと私は思っています。
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