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法律による強制ではなく、人間性でこそ、寛容な社会を形成するべき」

Saya 日本では、性的指向及びジェンダーアイデンティティの多様性に関する国民の理解を増進するための法律が制定されました。この法律は、性的指向やジェンダーアイデンティティについての理解を深め、寛容な社会を実現することを目指しています。性的指向及びジェンダーアイデンティティの多様性を受け入れる精神を涵養し、寛容な社会を築くことを目指しています。 

松居和 本来、寛容な社会の実現のためには、法律による強制ではなく、個々の人々が自分の中から人間性と優しさを育てていくことが大切です。法律にしようとした時点で、利権争い。薄っぺらい土俵に乗せるな、と言いたい。性的マイノリティの人達は昔からいたんだし、当然社会で受け入れるべきもの。法律で「受け入れ」を強制されるものではなくて、人間性、優しさで受容していくものです。本来、法律は十七ヶ条くらいにしておいて、あとは、人間性、優しさとか忍耐力でなんとかすべき。
 こんな仮想現実の中で争うのではなく、母子分離をせずに、子育てに生きがいを感じるようにするとか、そういう政策を進めるべき。こちらの方がよっぽど社会は良い方に変わります。

Saya 男女の性差をなくそうというジェンダーフリーの動きがあります。親を母や父と呼ばず、親1、親2とよぶなど、おかしなことだと思います。雄と雌、XやYといった染色体を否定するということはどういうことなんでしょうか。

松居和 雌雄が誕生する以前、生物は細胞分裂によって増えて、「死ぬ」ということはありませんでした。しかし、オスとメスが誕生した際、子孫を残す際に、その過程で「死」を手に入れた。人間はジェンダーという性差によって「死」を手に入れたんです。次の世代に場所を譲るということ。死と交換に、次の世代に「道筋」を譲る幸せを手に入れた。それが「利他」の幸福感の原点になる。
 今のジェンダーフリーの動きを見ると、豊かになったが故に、死から逃れようとしている感じがする。だけど、逃れられない。それよりは、次の世代に夢を託す。そうすれば永遠に続いていくわけです。

Saya ある種、自然の摂理への抵抗というものを感じます。

松居和 死への抵抗であり、社会は空回りしていくと思います。ジェンダーフリーは女性の男性化という考え方です。

Saya 和さんの「ママがいい!」という本は今の世の中に本当に必要な存在だと思いますが、このタイトルは、今の時代だとかなり物議を醸しますよね。

松居和 出版社がこのタイトルを提案してきた時、「私を生贄にする気ですか」と言いました。でも、3日考えて、逆に「このタイトルしかない」と思いました。人間社会は、この「ママがいい!」という言葉から始まっている。母親にとっては勲章であり、子供たちには願いであり、父親たちには「感謝」すべき言葉。

Saya 妻や夫という呼び名もやめて、「婚姻の当事者」と呼びましょうみたいな案も出てますよね。

松居和 欧米なんかはそういうのが好きだから進めてるのかもしれませんが、何で、日本のように、うまくいっている社会が、欧米の真似しなければいけないんだと思います。アメリカでは、1980年代と比較すると、いま、女性の犯罪者が10倍になっている。男性の倍のスピードです。半分以上が母親。こんな社会は、絶対にマネしてはいけない。女性が女性らしく生きた方が、刑務所に入る確率が減るのは確かです。
 スウェーデンは平和の国と思われていますが、社会的混乱や家庭の崩壊によって、犯罪率は日本の20倍です。男たちが、幼児に関わらない。家庭崩壊は、主として、男性が子育てをしない、「人間性」を身につけないということでもある。モラル、秩序の低下とイコールです。
 人間は自己のために生きることを望まない。自己実現や自己肯定感といった言葉が言われますが、自己中心的では幸せにはなれない。宗教は、そう言います。人間はみな欠陥があるからこそ、互いの絆が必要になることを理解すべきです。
 男女というのは、相対発達障害の典型です。だから互いを必要とする。性的役割分担を否定すれば、人生に必要な「絆」が壊れていく。育て合う幸せが希薄になり、当然、少子化も進む。少子化は、性的役割分担に幸せを感じることでしか解決しないのです。そういう当たり前のことをメディアは報道しようとしない。

Saya この30年、日本は間違い続けていると感じます。

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